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大阪高等裁判所 昭和29年(ネ)1093号 判決

控訴人 山添沢野

被控訴人 丹後織物工業協同組合

主文

本件控訴は、これを棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求はこれを棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を、被控訴代理人は、主文同旨の判決を各求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、

控訴代理人において、本件詐害行為取消の目的物件中居宅(後記引用の原判決添付の目録中第二号物件)は、控訴人が、訴外山添勇からの借入資金を以て、自ら建築したものであるが、建築許可を得るには、女性よりも男性名義で申請した方が有利であると考えて勲名義を使用したに過ぎない。かりに本件詐害行為取消の目的たる各物件(右居宅と前記目録第一号物件の宅地一四三坪五合五勺)が、もと勲の所有であつて、それが控訴人に譲渡せられたものであるとしても、右譲渡によつて勲が無資力になつたわけでない。右譲渡当時たる昭和二十四年十一月二十日頃、勲は約十五万円の預金を有し、工場に機械八台を据付け、一台に原糸八貫をかけて操業中で、織物業好調の折柄とて、一台につき月一万円宛の利益を挙げつつあり、被控訴人もこの勲の業態に信用をおき貸付を続けていたのである。勲が蹉跌したのは、昭和二十五年他に売却した製品二十七、八万円の回収が不能になつたことに帰因するのであつて、実際の営業不振を生じたのはその後相当期間経過後のことである。又、控訴人は、本件物件は実質上自己の所有に属するものと信じていたし、さらに右のような勲の営業状態から、同人には、他に相当の資産ありと信じていたのであつて、本件譲渡によつて無資力になるとは夢想だもせず、これが詐害行為たることにつき全然悪意はなかつた。かりにそうでないとしても、本件詐害行為の取消権は、時効にかかつて消滅している。即ち、被控訴人組合では、昭和二十五年春頃から鋭意債権の回収に力め、債務者の資産状態を調査して抵当権の設定を要求しており、勲に対しても右の要求を繰り返した結果、昭和二十六年三月一日、本件宅地上に存する控訴人名義の母家、木造瓦葺平家建居宅二十四坪二合及び木造瓦葺平家建物置八坪七合上に第二番抵当権を設定せしめ、同年十月五日その旨の登記を経ているのであるから、少くとも当時被控訴人は、登記簿その他の関係書類を閲覧し、同家屋の所有名義が、昭和二十四年十一月勲より妻たる控訴人に移されていること、延いてはその敷地たる本件宅地ならびに同じく右地上に新築の本件建物が、いずれも時を同じくして控訴人名義に移転又は保存登記されていることを察知し、本件物件の譲渡が詐害行為たることを知つた筈であり、かくて、被控訴人が本件譲渡の取消原因を覚知したのは、おそくとも、昭和二十六年十月五日であるというべく、同日より二年の時効期間を経過した後に提起せられた本訴請求は、取消権消滅後にかかり失当であると補述し、被控訴代理人において、本件第二号物件の建物は、その建築許可名義、建築の註文者名義がいずれも、訴外山添勲とせられていて、控訴人でない点からみても、当初は勲の所有に属し、これが控訴人に譲渡せられた関係にあること明白である。控訴人主張の預金十五万円は、被控訴人の債権額の半額に満たないし、本件物件の移転登記後一箇月位の間に払戻され皆無に近い状況に照し、これを以て被控訴人の債権を返済するに足る資力あるものとは認め難く、又控訴人主張の操業機械台数、及びこれによる収益高は否認する。被控訴人は、丹後一円のちりめん織物業者を以て結成された中小企業等協同組合であり、その前身たる丹後織物工業組合時代からの関係もあつて、組合員との間には親密な関係が存在し、特に統制時代は、被控訴人において、組合員に対する原料の配給、製品の蒐荷販売を一手に担当し、組合員に対する貸付金は、その納入の製品代金で決済されて来た関係もあつて、組合員の資産信用の調査設備もないし、又これらにつき体系的な調査をしたこともなかつたため、昭和二十四年生糸の統制撤廃と共に、右の債務決済方法が崩れるや、約二年の間に回収不良の貸付金増加し、遂にその整理の必要に迫られ、昭和二十六年十二月下旬資金整理室を設け、不良債権の回収、債務者の資産調査に乗り出したのであつて、従つて山添勲についてもその資産調査をし、本件譲渡が詐害行為たることを覚知したのは、右資金整理室による資産調査が進められるようになつてからの事である。控訴人主張の如く、被控訴人が勲に対する債権のため、本件宅地上の母家に第二番抵当権を設定し、その登記を経たことは認めるが、右担保物件と、本件譲渡物件とは、全く別異のものであるから、前者につき抵当権を設定したからと言つて、ただちに本件物件の譲渡が詐害行為たることを知つたものと速断できないのは当然であるのみならず、右抵当権設定当時、被控訴人には、該物件が当初より控訴人の所有であるのかそれとも勲より控訴人に譲渡されたものであるのかの判定はつかなかつたのであつて、況んや本件物件の譲渡日時、譲渡原因等につき仔細な検討を加えたわけでないのであるから、単に右抵当権の登記をしたことの故に、本件物件の譲渡が詐害行為に該当し、取消原因の存することを覚知したものと断じ難いのは勿論であると附陳した外、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

〈証拠省略〉

理由

被控訴人が、昭和二十四年十一月二十日現在、その主張のように、訴外山添勲に対し、その振出の約束手形に基き、金十六万八千七百六十三円三十銭の手形金、ならびに同人に対する当座貸越契約に基く貸付金十六万五千九百九十二円七十六銭以上合計金三十三万四千七百十六円六銭の債権(本件債権)を有していたことは、当事者間に争がない。控訴人は、右債務にはいずれも担保が差入れられていて、回収不能の債務でなく、又既に決済せられていると主張するが、これを認めるに足る確証がない。もつとも甲第六号証の帳簿には、「担保価格」なる表示がみられるが、原審証人細野敏夫、同足達久吉、原審並当審証人白須三雄の各証言によると、生糸統制時代、右訴外人等組合員に対する生糸の配給、組合員の製品の販売は、専ら被控訴人が掌握していたところから、組合員の生糸仕入代金等の債務は、組合員より納入した製品販売代金より回収され、製品は、自ら右債務の経済的な担保の役目を果していた関係に由来し、法律的な担保の設定があつたわけでないこと、従つて統制解除に伴い、右担保的な機能は失われ、被控訴人を通さない製品の販売が行われ、漸次未回収債権が嵩み、前記の如き未回収債権を生ずるに至つたものであることが認められるから(なお昭和二十六年十月五日、訴外人の被控訴人に対する債務三十万円につき、控訴人名義の居宅二四坪二合、物置八坪七合に第二番抵当権が設定せられていることは、成立に争のない乙第四号証によつて明らかであるが、右抵当権は既に第一番抵当権の実行によつて消滅していることも亦同号証によつて認められ、しかも、右抵当権の実行によつて本件債権に対する配当があつたことを認むべき資料は何もない。)控訴人の右主張は採用し難い。しかして、被控訴人主張の第一号物件たる宅地一四三坪五合五勺については、京都地方法務局峯山支局昭和二十四年十一月二十四日受付第二〇〇六号を以て、同訴外人より控訴人に対し、同年十一月二十日付譲渡による所有権移転登記がなされており、又被控訴人主張の第二号物件たる建物一九坪五合については、同支局昭和二十四年十一月二十八日受付第二、〇二三号を以て、控訴人名義の保存登記がなされていることは当事者間に争がない。

ところで、被控訴人は、右各物件(本件物件)の当初の所有者は勿論訴外人であつて、同人は昭和二十四年十一月二十日、これを妻たる控訴人に贈与し、右登記はその対抗要件履践のためになされたものであると主張するのに対し、控訴人は本件各物件は、当初より控訴人自身の所有に属し、右登記は実質的な所有関係に合致せしめるためになされたものに過ぎないと抗争するので、この点を判断する。

成立に争のない甲第一号証の二、同第九号証の一、二に原審並当審証人本城保の証言を綜合すると、本件第一号物件の宅地は、同訴外人が、昭和十八年一月八日、亡家原常二より畑一七歩と共にこれを買受け、同年一月十二日その移転登記を了してこれが所有者になつたのであるが、そのうち本件宅地のみを昭和二十四年十一月二十日妻たる控訴人に贈与し、これに基いて前記の移転登記をしたものであつて、又右のような関係から、畑はいまだに登記簿上同訴外人の所有名義のまゝになつていること(畑が登記簿上訴外人名義であることは争ない)が認められる。もつとも乙第二号証の売渡書の宛名は控訴人名義になつているが、同号証は甲第九号証の一の移転登記申請書作成以前のもので、文面上売買手付金の受領証明が主になつている点に鑑み、右宛名の記載が必ずしも確定的な買主を表示するものとは断じ難く、同号証は、いまだ右認定を覆す資料となすには不十分であり、又原審並当審証人山添勲、同山添勇、当審証人山添岩蔵の各証言、原審並当審における控訴人本人の供述中、右認定に牴触する部分は信用できないし、他に該認定を左右するに足る証拠がない。つぎに成立に争のない甲第四号証の一ないし三及び原審並当審証人藤山基一の証言を綜合すると、第二号物件の建物は、昭和二十三年春頃、同訴外人が、その所有の右宅地上に建設を志し、藤山組事藤山広義に請負わせて同年暮に完成引渡を受けたものであること、同訴外人は約定の建築代金の支払を怠つたため、屡々藤山組(昭和二十四年九月改組せられて株式会社藤山工務店となる。)より支払を督促せられ、遂には支払請求訴訟を提起せられ、昭和二十六年十月十八日訴外人自身出頭して、残代金の支払方法につき和解をしていること、その間他に実質上の建築者ありや否やの紛議を生じた形跡もなければ、控訴人が右家屋の実質上の所有者として行動した事跡もないことが窺われるから(建築の許可名義、請負名義が訴外人であることは控訴人の認めるところである。)、同建物がもと名実共に訴外人の所有に属していたことは勿論なりというべく、これに、前記認定の建物敷地が、昭和二十四年十一月二十日控訴人に譲渡せられているという事実に前記本城証人の証言その他本件弁論に現われた全趣旨より考察するとき、同訴外人が、右敷地の譲渡と同時に該建物も亦控訴人に贈与し、控訴人の前記保存登記は、該建物が未登記である関係上、直接右所有関係に基いてなされたものであること窺知するに難くない。右認定に反する前記証人山添勲、同山添勇、同山添岩蔵、控訴人本人の供述は、いずれも信用し難いところであり、他に該認定を動かすに足る証拠がない。よつて、本件各物件の譲渡が、詐害行為に該当し、取消権の対象となるかどうかについて考察する。

成立に争のない甲第三号証、同第四号証の一ないし三、同第一〇、一一号証、同第一二号証の一、二、同第一三号証、乙第三号証、原審並当審証人藤山基一、同本城保、同佐渡富男、同白須三雄の各証言に、原審並当審における証人山添勲と控訴人本人の各供述の一部を綜合すると、訴外山添勲は、本件各物件譲渡当時、家業たる織物業は不振に傾き、前認定の被控訴人に対する三十三万円余の債務の外他にも負債嵩みつつあり、訴外安田品蔵よりは、家財道具類を担保に融通を受けている始末であるし、又昭和二十三年末完成の本件建物の建築代金も支払いかねているありさまで、一方右債務の共同担保たるべき資産としては、本件各物件、前記畑一七歩、同人等の母家、物置が主たるもので、しかも母家物置は、本件物件と共に控訴人に無償譲渡されており、これらの譲渡物件を除外するとき、右債務の返済は不能か又は著しく困難な状態にあることが認められるから一応本件各物件の譲渡は、詐害行為取消権の客観的要件を具備しているものというべきである。

控訴人は、当時山添勲は織機八台を有し、これに原糸をかけ、多額の収益を挙げ、又約十五万円の預金を有していて、本件物件の譲渡により無資力となつたわけでないと主張するが、前記証拠によれば、勲は、本件譲渡後一箇月も経たぬ昭和二十四年十二月八日、その所有の織機六台と附属品を、控訴人名義にした上、訴外源辺駒太郎に対する四十万円の債務のため、売渡担保に供しているし、又控訴人主張の預金は被控訴人の債権額の半額に満たないし、それも本件譲渡後急速に払戻されていて、本件譲渡当時、控訴人主張の収益又はこれらの資産による前記債務の返済は、とうてい期待しえられない状況にあつたことが認められ、なおこのことは、同証拠によつて明らかなように、勲は、本件譲渡後半年にもたたない昭和二十五年四月二十八日、訴外合資会社共栄製糸場に対する三十四万円余の債務のため、前記母家に抵当権の設定を余儀なくされ、それも昭和二十六年には競売されるという破目に陥つている事実からも推認肯定されるところである。原審並当審証人山添勇、同山添勲の各証言及び原審並当審における控訴人本人の供述中右認定に反する部分は信用し難く、他に該認定を覆し、控訴人の右主張事実を確認するに足る証拠がないから、この点に関する控訴人の主張は採用し難い。

しかして、本件譲渡原因が贈与であること、受贈者たる控訴人が債務者勲の妻であること、その他債務者の資産状態等に関する前認定の事実よりすれば、右譲渡につき勲に詐害の意思があつたものであることは、容易に推認しえられるところである。控訴人は、本件譲渡による受益につき善意であつたと主張するが、措信し難い前記控訴人本人の供述を除いて他にこれを確認するに足る証拠がないのみならず、前認定の事実よりすれば、むしろ控訴人の悪意を認めるに難くないから、詐害行為取消権の主観的要件についても、欠けるところがないものというべきである。

ところで、勲がその後資産を恢復した事実を認むべき証拠はなく、むしろ前記甲第一〇号証によれば、依然として無資産の状態を続け、その家財道具類につき相ついで差押を受けているようなありさまであることが認められるから、被控訴人は、本件債権の満足を受けるに必要な範囲において、本件各物件の譲渡を取消し得るものというべく、ただ本件債権額が、前記の如く三十三万円余であるのに対して、本件各物件は、そのうち第二号物件についてみても、その建築価格が約六十万円を要したものであること、前記藤本証人の証言によつて認められ、はたして全物件につき譲渡の取消を必要とするかどうか論議の余地があるようであるが、しかし第二号物件は、第一号物件の地上に存する建物であつて、もし両者その所有者を異にするようなことがあれば、建物敷地につき借地権の設定なき限り、建物の収去を余儀なくする破目に至り、建物の効用、価値は著しく低下し、社会経済上の損失にもなるのであるから、かくの如き場合、両者を不可分的に観察し、その全部の取消を許すべきものと解するを相当とする。

そこで、控訴人の取消権の消滅時効に関する抗弁について審按する。

被控訴人が、山添勲に対する債権のため、昭和二十六年十月五日、控訴人所有名義の母家について、第二番抵当権の設定を受けたこと、右母家は昭和二十四年十一月二十日、勲より控訴人に無償譲渡されたものであることは、前認定のとおりであるし、又同年十一月二十四日付きを以て、右譲渡による移転登記がなされていることは、前記乙第四号によつて明らかなところであつて、控訴人は、おそくとも、右抵当権設定当時、本件詐害行為の取消原因を覚知したものであると主張するのであるが、右物件と本件物件とは、両者その敷地を同じくし又使用者も同一人である等密接な関係があるにしても、別異の物件であることに変りはないのであるから、前者に、右の如き移転登記があつたからといつて、ただちに本件物件の譲渡を知つたものと断定し難いのはいうまでもないし、況んや右譲渡が詐害行為取消権の対象となることを覚知したものと速断することができないのは勿論であつて、又原審並当審証人山添勇、同山添勲当審証人森岡治作の各証言、原審並当審における控訴人本人の供述によるも、被控訴人が右日時までに、本件取消原因を覚知していたことを認めしめるに十分でなく、他にこれを確認せしめるに足る的確な証拠がない。却つて原審並当審証人白須三雄、同嶋津行夫、同足立久吉、当審証人隍利胤の各証言によると、被控訴人が、組合員に対する未回収債権の増加に伴い、整理室を設け、債務者に対する資産の調査、担保の要求に積極的に乗出したのは、昭和二十六年十二月末頃からであつて、それまでは債権の回収に苦慮しながらも強硬策は避けていたし、又山添勲も組合員として被控訴人に対し、若干の信用を維持していたのであつて、さればこそ、被控訴人も前記の如く、控訴人名義の母家に第二番抵当権を設定せしめただけで一応満足し、無疵の本件不動産を探知しこれに抵当権の設定を強要するような態度に出でなかつたばかりでなく、依然として同人に対する貸付を続け、その総額百万円近くに達するに至つたのであるが、昭和二十七年に入つて整理が進み、同人に対する資産調査も行き届き、その主要な財産が殆んど控訴人名義に移されていることを了知するとともに、同人の不誠実な態度により、本件譲渡が詐害の意思に出でたものであることを確知し、爾後同人に対する貸付を停止すに至つたものであつて、結局本件取消原因の覚知は、少くとも昭和二十七年以後にかかることが認められるから、昭和二十八年十月十三日の本訴提起当時においては、いまだ二年の消滅時効は完成していなかつたものというべく、この点に関する控訴人の抗弁も亦理由がない。

さすれば本件各物件の譲渡は、詐害行為による取消を免れないから、右取消を宣言すべく、その結果、控訴人は、被控訴人に対し、同物件の復旧義務を負い、第一号物件については、その譲渡を原因とする前記移転登記を抹消すべき義務あり、又第二号物件についても、その保存登記の抹消に代え、債務者たる勲に所有権移転登記をなすべき義務あるは当然であつて、これを認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がない。

よつて、民事訴訟法第三八四条第九五条及び第八九条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉村正道 大田外一 金田宇佐夫)

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